名古屋めしに限らず日本の食に欠かせない調味料といえば「醤油」。そんな醤油の日本一を決める「全国醤油品評会」が昨年10月に開催され、なんと名古屋市で作られた「白しょうゆ」がトップの賞である農林水産大臣賞を受賞しました。
農林水産大臣賞を受賞したのは名古屋で190年以上にわたって醤油造りを行ってきた「太田屋」。名古屋市内では唯一となる「白しょうゆ」専業の醸造メーカーです。
豆味噌にたまり醤油と何かと「濃い口」が好まれる名古屋の食文化とは一見真逆とも思える存在の「白しょうゆ」ですが、実は「白しょうゆ」もナゴヤエリアにルーツがある調味料。そこで今回は、名古屋人に親しまれてきた白しょうゆ造りを受け継ぐ「太田屋(菱太産業)」の八代目・太田恭平さんに、白しょうゆの魅力とより美味しい白しょうゆを作ってきた道のり、そして白しょうゆから見たナゴヤの食文化の将来についてお話をお伺いしました(聞き手:Swind/作家・ライター・名古屋めし料理家)
―― 本日はよろしくお願いいたします。最初に太田屋の歴史について教えて下さい。
創業は1831年(天保2年)、江戸時代の後期から幕末へと移っていく時代になります。坂本龍馬が好きな人だと天保年間といえばピンと来るひとも多いかなと。
現在の東新町あたりが創業の地となります。昔は駿河町と呼ばれており、その地域の町長さんみたいなこともやっていたそうです。すぐ近くにある冨士神社には、鳥居のすぐ横に「太田藤吉」と書かれた石の柵があるのですが、ご先祖様にあたります。ただ、六代目まではみんな「太田藤吉」と名乗っていたため、これはいったいどの藤吉なんだろうと言いながら初詣をしていました。
―― 太田屋創業の地のあたりはちょうど飯田街道の出発点ぐらいの場所になるんですね。
そうですね。往来の盛んな場所です。当時は三河が大きな塩の産地であり、大豆の産地でもあった。飯田街道は「塩の道」と呼ばれるような街道でしたので、原材料となる塩や大豆が手に入りやすかったということで味噌やたまり造りをはじめるには良かったのだと思います。
創業から戦前までは豆味噌とたまりを主に作ってましたが、戦中に他の味噌たまり屋さんと合併したり、大戦末期には空襲で家屋も醸造蔵も焼けてしまって一時製造が途絶えてしまいました。そこから戦争が終わった昭和25年に、それまで配給制だった醤油が自由化されるということになり、名古屋味噌溜(現キッコーナ)から再独立するということになりました。実はお醤油屋さんはこの時期を創業とするところが多いんです。
再開した当時は「とにかく醤油を自分で作りたいという思い」でたまりを作っていたそうです。大豆も買い付けていたみたいですが、買ってきた味噌をもう一度たまりとして仕込むみたいなこともやっていたようですね。ただ、たまりというのはどうしても仕込んでから出来上がるまで時間かかるんですよね。
―― どうしても年の単位がかかりますし、経営としては重いですよね。
醸造業が家業だというプライドも強く、資金繰りが厳しいながらも頑張っていたようです。その一方で「白しょうゆ」のことも良く知っていたみたいなんですね。名古屋の醤油を扱っているお店には白しょうゆが置いてあるなと、白しょうゆというのも美味しいなと。
そこで「たまりもいいけど新しいのもどうだろうか」ということで、六代目であった祖父と近しい関係にあった酒類卸の取引先さんに「白しょうゆの工場を建てようと思っているが、どうだろうか?」と相談したそうです。そうすると「白醤油いいじゃないか」という話となり、販売はその取引先のグループ企業に任せるということで当時の最新設備で工場を建てました。それがこの守山工場です。
―― 今で言うOEMですね。名古屋では昔からどの業種でもそういう文化が結構あったみたいですね。
大正の頃は醤油にも仲買人がおり問屋さんがその品質を保証する、そういう流通形態だった時代でした。うちとしても営業を持つ必要がなく、その分作ることに専念できたようです。なので、意外と思われるかもしれませんが、自分のラベルかどうかはあまり気にしたことがないですね。
私の祖父は機械関係に強かったこともあり、この工場でも何でこんな設備作ったのかなと思うものもあります(笑) 私は自分のアイデアを入れるっていうことよりも、この工場にある設備を使いこなす、これこれこういう風に使う方がいいかなっていうことを言いながらやってるっていう感じです。
―― その後、太田屋醸造さんと不動産部門の菱太産業さんを合併し、現在は菱太産業株式会社の一部門という形で白しょうゆ作りをされていらっしゃるとWebサイトで拝見しました。驚いたのは菱太産業さんにはコンピューター事業部というのがあったんですね。
実は私の父がもともとIBMでシステム開発の仕事をしていたんです。桜通本町の所に十六銀行がありますが当時はそのビルの半分がIBMだったんですよね。
―― そういえばありました! 懐かしいですね。
在職中は銀行のシステムを中心に仕事していたそうですが、IBMを退職してうちの会社に入る時に「せっかくシステムのことわかっている人間をそのまま手放すのはもったいない」となり、「自分の会社の中にそういう部隊を作ってくれるなら仕事を出すから」ということでコンピューター部門が出来たそうです。
現在はシステムが切り替わったこともあってコンピューター事業は閉じていますが、父はいまでもコンピューターでいろいろ作っています。最近はパズルの数独を友人から教わって、それを解くマクロをエクセルで組んでいました(笑)
―― それはすごい!でも、マクロ作る方が大変な気もするのですが(笑)
解き方って聞いてきたので「そこを楽しむのがこのゲームなんだけどなぁ」と思いながら数字の入れ方を教えたんです。そうしたら「あー、分かった分かった」と言って、気がついたらマクロが出来上がっていました。そうすると、もう後は入力すればいいだけなので、友人から問題をもらっても2分ぐらいで返しちゃうんですよね。「お前どうやったんだと」って言われて得意顔になってたんですが、それ全然ゲームとして面白くないんじゃないかなって(笑)
―― 私も元エンジニアですので、少し気持ちは分かるかも知れません(笑)
さて、ここからは白しょうゆのお話を改めてお伺いしたいと思います。昨年10月に『全国醤油品評会』で農林水産大臣賞を受賞したというところですけれども、まずはこの品評会がどういったものなのかからお聞かせください。
『全国醤油品評会』は今回で48回になります。醤油のナンバーワンを決める、全国の醤油屋さんにとっては一堂に集まる大イベントです。
この品評会に出品できるのは日本農林規格(JASマーク)が入っている醤油となっています。このJASマークの認証を受けるためには毎年醤油の協会からチェックを受け、ルールに則って醤油を作っていることを確認してもらう必要があります。結構厳しいチェックなんですよ。
醤油と味噌それぞれにこうした品評会があるのですが、実は今までは賞をとっても「宣伝には使わない」っていうのが不文律だったんです。「○○が一番だ」とあんまり言うなよと。しかし、そうすると出品する人たちもだんだん減っていってしまったんですね。それで3回前ぐらいから徐々に緩和され、今は賞をとったことを一年間はラベルに書いても良いということになりました。そうしたら、今までとは逆に主催者から「賞をとったからちゃんと宣伝してよ」と言われています。
―― それは驚いちゃいますね(笑)
うちは自分たちで営業するっていうスタンスではなかったので「やべっ、賞もらえるらしいけど、どうしよう」っていう(笑) ホームページもあったんですがまだコンピューター事業部があったWindows95時代のものだったので、これではちょっと人様に見せられないなと。そこで昨年の9月に全面リニューアルして、色々と体裁を整えました。
―― 過去の記録を見ると、全国醤油品評会の長い歴史の中で白しょうゆが農林水産大臣賞受賞を受賞したのは過去に2回のみ。今回の太田屋さんで3回目になるそうですね。
初めて白しょうゆとして受賞したものは名古屋の白しょうゆとは異なる製法のものなので、この辺りで作られている「白しょうゆ」が受賞したのは碧南にあるヤマシンさんが初めて、当社が2回目という形になります。
品評会に出すようになったのは、10年ほど前に愛知県の味噌醤油組合の主催でこの地域独自の品評会が開催され、そこで県知事賞をいただいたのがきっかけです。
この地域で作られている醤油は「たまり」や「白しょうゆ」が代表的ですが、実はこれらは全国の品評会ではなかなか良い賞を獲りづらいと言われています。全国の品評会では「濃口醤油」がスタンダードなのですが、「たまり」は旨味がすごいものの濃口醤油のような香りはしない。一方の白しょうゆは麹の香りがするのが特徴なのですが、濃口醤油の基準で考えるとちゃんと熟成していない駄目な匂いとして扱われてしまう。そのため、県も「もう独自にやろうぜ」と愛知県独自の品評会を開いたというわけです。
おかげさまでその品評会で県知事賞という良い賞を頂いたのですが、そうしたら県の組合の方から「地方大会で勝ったんだから甲子園行ってらっしゃいよ」と言われまして(笑) それがきっかけで10年ほど前から全国の品評会にも出品をはじめました。
―― なるほどです。そして何度もチャレンジを続けて、今回トップの賞である農林水産大臣賞をされたんですね。
たまり白しょうゆも独特なので、全国で言うと好き嫌いというか、なかなかその同じ土俵に立たせてもらえないというところはあります。品評会に出品はしていましたが、マイナーな白しょうゆで賞を取れるとはと全く思っていませんでした。
それでも品評会に出すと、全国の審査員の人たちから評価がもらえます。点数もありますが、コメントもしっかりついてくるんですね。そのコメントがすごく参考になりました。「あー、その匂い確かにあるわ」とか、「これはいい、これは悪い」というような感じですね。
白しょうゆは匂いがすごく強いので、良くない匂いの部分も良い香りに隠れてしまう。つゆなどの形でも薄まって分からないって思っていた部分もあったんです。しかし、例えば狙い通りの香りが全部揃っていても、不協和音がちょっとでもするとやっぱり気づくというか全体を台無しにしちゃうんだよというところはコメントで「ああそうか」と気づかされました。
そうしたコメントから、すべての工程の中で「このことだな」というところを見つけ、工場の人たちとも話しながら少し手間をとってでも悪い部分を減らしていきました。そして、それを改善すると、次の出品の時にはそういうネガティブなのコメントはなくなるんです。そういう意味ではやっぱり品評会にだしはじめたということが、改良点を見つける上で非常にいい効果を生み出してるんだろうなと気づきました。
―― つまり、今作られている白しょうゆが太田屋の長い歴史の中で一番良い、今の時点では最高の出来栄えの白しょうゆということですね。
そうですね。ただまだ気になるところがあって、あれやこれや試したいことがたくさんあります。一番いい賞である農林水産大臣賞をいただいてしまったことで、かえって手を入れづらくなってしまったんですよ。「次はこれだよね」みたいなことをいってたんですけど、変えちゃだめかなみたいな。非常に迷っています(笑)
―― それは難しいところですよね。
うちの父は「焦りすぎ。まだもらうの早いよ」っと言っていました(笑)
このあともお話はまだまだ続きます。中編では白しょうゆの誕生や名古屋めしとの関わりについてのお話をご紹介します。
≪中編へ続く(7/12公開)≫
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